大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所金沢支部 昭和25年(う)609号 判決

控訴人 検察官 検事 杉本伊代太

被告人 平野和昌

検察官 小西茂関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金参千円に処する。

右罰金を完納出来ないときは金貳百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審並に当審訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検察官の論旨は記録にある昭和二十五年十月二十三日附検察官検事杉本伊代太提出の控訴趣意書記載の通りであるからこれを引用する。

被告人は新川自動車株式会社に雇われ富山市、滑川町間の定期乗合自動車の運転業務に従事中のものであつたが、昭和二十五年三月四日車掌松野吉美を乗務せしめ富第一二五七号乗合自動車を運転して富山市を発進し滑川町に向う途中同日午前九時五十分頃水橋町東出町停留場において同町三百九十七番地千石正雄四女陽子当時満三年が車體に触れ即死した事実は原審において取調べた証拠によつて明白である。検察官は右事故の発生経過として「停車中に左前車輪直前附近に歩み寄つていた被害者を出発の際自動車の前部で突き倒し次で左後車輪内側タイヤーで頭部を轢いたものである」と主張するのに対し原判決は「被害者が自動車の何処に触れ如何にして轢かれ、死亡の結果が発生したものか検察官の立証によつては不明である」旨判示するので先づこの点を究明するに司法警察官野崎二郎の検証調書医師黒川茂の死体検案書、司法警察員に対する上田常次郎の供述調書及び原審並に当審検証調書中の各記載を照らし合わせると本件自動車の停車位置における車体前面中央部に当る地上と被害者幼児の死体の位置とが略一致しており死体の脳漿及び血液の飛散流出は自動車の進行方向に向い前方約十一米に亘る道路に血痕や肉片が直線を描いて点在し、車輪の廻転と共にこれに附着したそれらのものが路面に取り落された状況を示している事実、幼児の死体は自動車の進行方向に向つて仰向けとなり頭部は頭蓋骨の破裂と脳漿露出を来して左右に圧縮され、両上腿前部に巾十五糎に亘り車輛タイヤによる軽度の擦過傷が認められるのに対応して自動車の左後車輌及び泥除けに肉片と血痕が附着していた事実、自動車前面に張り渡されたバンバアと地上の距離六十糎自動車の最低部位と地上の距離五十五糎であつて小児の如きは若干の屈身をもつて自在にこれを潜り抜けることの可能である事実及び、自動車の停車中車体の附近に遊んでいた幼児らが発車後俄に泣き上げて附近小路に駈け込んだ諸事実を認めることが出来るからこれらの事実を綜合するとき被害者は自動車の発進時、車体の前端中央部に当る地上に於て発車の初動と共に自動車の進行方向に対し仰向けに転倒し前車輪又は後車輪の内側タイヤに上股を擦過された後続いて後車輪内側タイヤをもつて頭部を轢圧され即死したものであることが推認される。従つて原判決が「被害者が自動車の何処に触れ如何にして轢かれたか不明である」と論じこの点の究明を怠つたのは不当であると云わなければならない。

よつて進んで被告人が右幼児の轢死につき業務上過失致死の責任を負担すべきか否かについて考察する。

前掲当審の検証調書並に被告人の司法警察員に対する供述調書の記載によれば、本件乗合自動車は貨物自動車の改装車であつて車体左側の略中央に一個の昇降口を有し全長七米五〇、横巾二米の車内前方の右側寄りに運転者席があり、これについて前方の視界を測定するとき最短二、三米、最長五、七米の離差をもつて連る孤状の死角圈が形成せられ、試みに四、五歳の幼児を車体前面のバンバア前に直立せしめてもこれを発見し得ないことを認めうるので停車中及び発進時における右死角圈内の危険防止については運転の操作に携わる被告人に取つては主として松野吉美の行う警戒と発車信号に俟つのでなければ不可能事であることが知られる。しかしこの事は被告人が自動車運転者として漫然車掌の為すところに一任しその発車信号に無批判に仰合することをもつて能事畢れりとするものではなく停車中と雖も自ら出来る限りの注意を前方に払い若し前方死角圈内に立ち入る者を認めた場合自ら又は車掌に命じてこれを除却する措置を講ずべく亦発進に当つては自己の不知の間に右死角圈内に立ち入つている者の有無に関心を払い車掌がよく危険の有無を調べた上の信号であるか否かを留意し周囲の状況に万全の配慮を加えて発車すべき業務上の注意義務を負担すべきことは当然と云わなければならない。殊に前顯各検証調書の記載並に原審並に当審証人曲淵六也同上田常次郎に対する証人尋問調書中の供述によれば本件停留所は南北両側に水橋町民家の櫛比した幅員約六米五〇糎の国道上にあり、交通頻繁な表街路に位置し其の北側(自動車の進行方向に対し左側)の石黒薬品工場板塀の東側に幅員約四米奥行約十五米の工場出入口前通路がコンクリートをもつて舗装せられて直角に右停留所の表道路に交り更に其の東側石黒重次宅前の軒下もコンクリート造りとなり、これらコンクリート敷部分は街路北側において日頃児童らの遊び場に利用せられ、本件バスの到着時にも四、五歳位の幼児数名が同所に戯れており自動車到着と共に車体附近に寄り来つていた事実が認められるので、このような状況にある街路上の停留所に停車し更に進発する際には特に前方の死角圈内に配意し幼児らの立ち入りその他の危険を厳戒する為め同乗の車掌をして下車せしめ見易い個所において右圈内を監視せしめつゝその上の発進信号により発車すべき責務を有するものと云わなければならない。然るに当審並に原審証人曲淵六也並に上田常次郎の供述を綜合すると被告人は本件停留所に停車して再び進発するに当り右危害の予防につき何らの考慮を払わず、車掌松野吉美を乗車せしめたまま漫然右死角圈内に盲進した事実を認めるに十分である。されば被告人の右所為は業務上其の尽すべき義務に違反したものであり、因つて生じた前記被害者の死亡につき業務上過失致死の責任を免れないものと云わなければならぬ。論旨は理由がある。

よつて本件につき被告人の業務上過失を認定すべき証拠不十分として被告人に無罪を言い渡した原判決は罪となる事実を誤認したものであるから刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書により之を破棄し当裁判所において被告事件につき更に次の通り審理判決する。

(罪となる事実)

被告人は自動車運転の普通免許を受け富山県新川自動車株式会社に雇われていた自動車運転者であるが昭和二十五年三月四日同社乗合自動車富第一二五七号を運転し車掌松野吉美を同乗せしめ富山市、滑川町間の旅客輸送に従事し同日午前九時五十分頃同県中新川郡水橋町東出町停留所に至り停車の上乗客を昇降せしめて発車の際、停車中に運転台から死角を為している車体前方バンバアに歩み寄つていた同町三百九十七番地千石正雄の四女陽子(満三年)に気着かずに進発した為め同女を自動車の前部で突き倒し且つ左後車輪内側タイヤーで頭部を轢いて即死させたものである。被告人の右の所為は人家軒を並べ人、車道の別のない街路を運行する乗合自動車の運転者として当然発進に際し用うべき死角圈内の注意義務を怠り漫然発車した業務上の過失に基因するものである。

(証拠)前掲判示に援用した証拠と同じ

(法律の適用)

被告人の所為は刑法第二百十一条罰金等臨時措置法第二条第一項第三条第一項に該当するから所定刑中罰金刑を選択し所定金額の範囲内で罰金三千円に処し同罰金を完納することが出来ないときは刑法第十八条により金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し原審並に当審訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項により全部被告人の負担とする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 吉村国作 判事 小山市次 判事 沢田哲夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例